宇土市議会 2020-12-04 12月04日-04号
私は,社会科歴史教科書というのは,子どもたちの愛国心を芽生えさせるのか否か,大きな役割を持っていると思っておりまして,特に日本の成り立ちや大東亜戦争後の歴史観はその記述いかんによって,大きく子どもたちの感情が揺さぶられるものと思います。いわゆる自虐史観,事実を歪曲した我が国は悪いことをしたんだという,自虐史観に陥る記述の多い教科書が近年採用され続けております。
私は,社会科歴史教科書というのは,子どもたちの愛国心を芽生えさせるのか否か,大きな役割を持っていると思っておりまして,特に日本の成り立ちや大東亜戦争後の歴史観はその記述いかんによって,大きく子どもたちの感情が揺さぶられるものと思います。いわゆる自虐史観,事実を歪曲した我が国は悪いことをしたんだという,自虐史観に陥る記述の多い教科書が近年採用され続けております。
残念ながらその間、私を含め多くの日本人が大東亜戦争、太平洋戦争に対して罪悪感を植え付けられ、その洗脳から目覚めるのに何十年もの時間を無駄に過ごしてしまいましたし、まだ洗脳され続けている日本人が何千万人も存在していそうです。
残念ながらその間、私を含め多くの日本人が大東亜戦争、太平洋戦争に対して罪悪感を植え付けられ、その洗脳から目覚めるのに何十年もの時間を無駄に過ごしてしまいましたし、まだ洗脳され続けている日本人が何千万人も存在していそうです。
あの大東亜戦争に対する国民の反省と平和への決意を込めて、憲法9条はつくられています。憲法9条1項、2項によって日本の国には戦争を放棄する、再び戦争を行わないと世界の人々へ平和を発信しているのです。これこそ世界遺産だと私は言っているのです。 戦後74年、我が国は一度として、まだ他国との戦火を交えたことはありません。平和の国として不戦を貫くことができています。
あの大東亜戦争に対する国民の反省と平和への決意を込めて、憲法9条はつくられています。憲法9条1項、2項によって日本の国には戦争を放棄する、再び戦争を行わないと世界の人々へ平和を発信しているのです。これこそ世界遺産だと私は言っているのです。 戦後74年、我が国は一度として、まだ他国との戦火を交えたことはありません。平和の国として不戦を貫くことができています。
本年は、アジアを欧米の植民地主義から救うためということであった大東亜戦争の敗戦から70年の節目の年でもあり、昨日12月8日は開戦の日でもあります。祖国の勝利を信じつつ、戦禍に倒れ、なお被災をされた多くの方々の御霊前にも心から哀悼の意を申し上げる次第でございます。今、再び激動の時代を迎え、日本も一国だけでの平和を享受することができなくなりつつあることは、論を待たないところであると思います。
第3点は、侵略戦争や大東亜戦争など、学童生徒の質問に的確な答弁ができなかった。しかし、戦後の自学教育に振り回されることなく、基本教育をしっかりと捉える素質があるかどうか心配いたすものであります。今までの教育長としての振る舞いにおきましては、そういう三つの観点から、非常に心配することがあります。
それから、町教育委員会としても、大東亜戦争も含めて、侵略戦争かどうか判断できる立場ではないということで、意見は控えさせていただくということが、今の教育委員会の立場といいますか、考えであります。
また、東側にはイチョウとクスノキの大木の傍らに、大東亜戦争記念の祠(ほこら)があります。ここは約600平方㍍ありますが、調査した平成16年10月当時、116人の共有で、そのうち78人が死亡されており、相続手続き等が困難ということで、名義変更を断念しているところでございます。 ◆7番(髙田幸夫君) 今、教育部長がおっしゃいました頂上部分、本丸があったところですが、廃屋が二つあります。
その結果、日清、日露の戦役で、中国、ロシアに勝って、大東亜戦争でアメリカに大敗しましたが、まだ2勝1敗であります。それはともかく、これら欧米の弱肉強食を根底とした価値観は、内包する自己矛盾により、ことごとく時代の変遷の中で崩壊してしまいました。
日本は大東亜戦争に敗れ、無条件降伏をし、敗者の美学として一切の弁明もせず、日教組の自虐史観にも口をつぐんできました。戦争の要因は、一方だけが悪意に満ちていたわけではなく、むしろ正直な日本は、欧米諸国のしたたかな外交戦略に翻弄され、戦争の引き金を引かされたのが実態であることが判明してきました。
◆8番(五嶋映司君) 請願の紹介議員として、請願理由その他については今委員長が報告いただいたことに内容は含まれておりますので申し上げませんが、ただひとつここで言っておきたいのは、この教科書は大東亜戦争という言葉を使っております。実は広辞苑で大東亜戦争というのを調べてみました。しかし、今は広辞苑ですら大東亜戦争は使わないということになっているそうです。載っておりませんでした。
例を挙げてみますと、日清・日露戦争以降の日本の戦争を美化・正当化したり、アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と読んで、それが侵略戦争だったことを認めず、日本の防衛戦争、アジアの解放に役立った戦争として美化し肯定をしております。あるいはまた韓国併合、植民地支配への反省はなく、むしろ正当化する内容は変わりありません。また日本軍、慰安婦の事実を無視し、南京大虐殺についても否定論の立場であります。
しかも、検定に合格したとはいえ「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と呼び、検定後も「日本軍が連合国軍を打ち破ったことは、欧米の植民地支配のもとにいたアジアの人々を勇気づけた。日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった。」と記述するなど、アジア侵略への無反省と美化の立場を変えていません。 南京大虐殺の記述についても「さまざまな見解があり、論争も続いている。」
しかも、検定に合格したとはいえ「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と呼び、検定後も「日本軍が連合国軍を打ち破ったことは、欧米の植民地支配のもとにいたアジアの人々を勇気づけた。日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった。」と記述するなど、アジア侵略への無反省と美化の立場を変えていません。 南京大虐殺の記述についても「さまざまな見解があり、論争も続いている。」
私は大正の生まれでございまして、旧軍として大東亜戦争に従軍をいたしました。戦争に行ったわけでございます。したがいまして、戦争の悲惨なこと、戦争をやってはいけないこと、平和が大事であるということは一番よく認識をしておるつもりでございます。したがって、終戦後の五十年、まさに平和を守るために私の人生はあったと、そのように考えております。
私は大正の生まれでございまして、旧軍として大東亜戦争に従軍をいたしました。戦争に行ったわけでございます。したがいまして、戦争の悲惨なこと、戦争をやってはいけないこと、平和が大事であるということは一番よく認識をしておるつもりでございます。したがって、終戦後の五十年、まさに平和を守るために私の人生はあったと、そのように考えております。
このことから我が国の国際社会における孤立化が始まったわけでありまして、この国際連盟脱退が、残念ながらいわゆる大東亜戦争、そして一九四五年終戦という非常に悲劇的な民族の敗北を味わったわけでありまして、私どもは再び、この平和、そしてまた戦争の悲劇というものを、ジュネーブのあの地に立ちまして感慨深いものを覚えたわけであります。
このことから我が国の国際社会における孤立化が始まったわけでありまして、この国際連盟脱退が、残念ながらいわゆる大東亜戦争、そして一九四五年終戦という非常に悲劇的な民族の敗北を味わったわけでありまして、私どもは再び、この平和、そしてまた戦争の悲劇というものを、ジュネーブのあの地に立ちまして感慨深いものを覚えたわけであります。
大沼保昭東大教授が、さきの戦争を十五年戦争と考え、日本が満州事変からほぼ恒常的に中国に軍事介入し、その最終結果として大東亜戦争を決断せざるを得なかったという対中国戦争における連続性の側面が明らかになり、そして満州事変を起点とする対中国戦争に関する限り、日本の遂行した戦争の侵略的性格は明らかで、戦争責任の問題に対しては十五年戦争史観の持つ重要な意味があると指摘しておりました。